現在ブレイク中の芸人・やす子さん。
「おもしろ荘」で注目を集め、1発ギャグの「はい~」と元自衛官という経歴を生かしたネタを披露して人気者となりました。
「グルメチキンレース・ゴチになります!25」で新メンバーとなったり、多数のバラエティに出演したりと大活躍されています。
温厚で優しい見た目からは想像できないけれど、
実は、壮絶な生い立ちを過ごしたそうなのよね。
今回は、やす子の生い立ちが衝撃!養護施設や母との確執など壮絶エピソード5選!を紹介します。
人気者のやす子さんが嫌いで見たくないと言われる理由9選!くわしくはこちらへ↓
・やす子の生い立ちが衝撃!
・養護施設や母との確執など壮絶エピソード5選!
・まとめ
【やす子】生い立ちが衝撃!
温厚で、やさしい笑顔が印象的なやす子さんですが、度々壮絶な生い立ちエピソードがテレビで紹介され、話題になっています。
いったいどんな生い立ちだったのでしょうか。
調査しました!
【やす子】養護施設や母との確執など壮絶すぎるエピソード5選!
やす子さんの壮絶な生い立ちが分かるエピソードを紹介します。
人生何週もしてるかのような、衝撃の体験ばかりでした。
笑顔で前向きな発言の裏には、つらい経験も沢山してきたんですね。
①2歳の頃に父親と生き別れる
実父との事を話す、やす子さん。
とある番組内で実父の事を、「生物学上の父親」と言っていました。
2歳の頃に両親が離婚。
やす子さんは母親に引き取られ、父親とは生き別れになりました。
「しゃべくり007」にやす子さんが出演された際に語った、父親とのエピソードを紹介します。
芸人として知られるようになったある日、SNSにメッセージが届いたという。「自分の個人情報、生まれた時間、日にちを知っている人からリプライが来たんですよ。何で知っているんだろう?と思ったら、自分のお父さんだった」という。昨年、久々に会ったといい、「再会できたというのは、芸人になってよかったなって」としみじみ語った。
実父は、やす子がテレビで活躍する姿を見て、自分の娘だと悟ったという。番組にしたためた手紙では「一昨年、おじいちゃんがテレビで『かのん(やす子の本名)』を見つけてまさかと思って調べたら本当に『かのん』で驚きました」と、当時の驚きぶりを説明した。
引用元:スポニチ Sponichi Annex 芸能
22年ぶりの父親との再会。
父親は、偶然にもやす子さんと同じ元自衛官でした。
しゃべり方や特技、見た目や人見知りな点などやす子さんとの共通点が多くて、まるで生き写しだったそうですね。
「なるべく死ぬまでに親孝行ができたらいいなと思って」と語るやす子さん。
心根の優しい方ですね!
②両親の離婚後、極貧で児童養護施設へ
両親の離婚で、母子家庭となったやす子さん。
その後の生活は、大変苦しいものたったそうです。
母親は、やす子さんと妹を育てるために昼夜問わず必死に働き、家ではほとんど妹と二人きりだったそう。
おなかをすかせた妹のため、やす子さんは学校で率先して給食当番となり、余ったパンや牛乳を持って帰り、食べていたと語っていました。
一日の食事が給食だけの日も多々あったようです。
「給食以外食べないことが多くて、自分の記憶だと夜ご飯とか1分ぐらいで終わった記憶なんですよ」ともコメント。また、夏休みについては「本当に地獄でしたね。給食ないから」とその過酷さを振り返っていた。飢えを救ってくれたのは、スーパーで50円で売っていた大量のパンの耳。夏休みの間はずっとそれを食べていたのだという。
引用元:女性自身 (jisin.jp)
家庭環境が貧しく、家にはテレビや洗濯機がなかったそう。
家庭環境が極貧だということは、周囲に知られてはいけないと思い、外見は笑顔を保って生活していたそうです。
辛すぎる・・・
中学時代には、家庭環境が更に悪化。
学費も払えなくなる状況に陥り、ごはんや遠足の代金などは、先生に前借りしていたそうです。
そして、母親に内緒で児童養護施設に助けを求めるようになりました。
その後、母親とは疎遠になり、16~22歳までの6年間は合わずじまいだったと語っています。
③14~15歳で交通事故!九死に一生を得る
やす子さんに、更なる災難が降りかかります。
やす子さんが「突然ですが占ってもいいですか?」に出演。
琉球風水志のシウマ氏に占われたことで、交通事故のエピソードを話していました。
「今まで生きてきている中で、死んでもおかしくない出来事が起きていたはず。14~15歳」と指摘されたやす子は「あっ!確かに…。すごい、すごいよ~!」と目を丸くした。やす子によると、14歳か15歳の時に「死ぬくらいの」交通事故にあり、その時から、人間関係や家庭環境も悪化。やす子は親元を離れて生活していたという。
引用元:サンスポ (sanspo.com)
事故の状況や詳細に関して、明らかにはされませんでした。
九死に一生を得たやす子さん。
交通事故は、まだ母親と暮らしていた頃のようですね。
これが引き金の一つとなり、家庭環境や人間関係が更に悪化したそうです。
散々な状況で「人生をやめちゃおうかな」と思うこともあったと語っていました。
死んでもおかしくない事故を経験されたなんて、今の明るいやす子さんからは想像もできませんね。
大変な時期を乗り越えて、今の活躍があるんですね!
④高校でイジメにあい、孤立状態!3年間トイレ飯!
高校に入学した後の、辛いイジメエピソードです。
やす子さんが高校生の頃、女の子たちとごはんを食べているとき、すごいネチネチした子がいたそう。
やす子さんが「〇〇ちゃんって、ホント女子だよね」って言ってから、ハブられてしまったそうです。
そこからやす子さんは3年間ずっと、便所でを食べていたというのです・・・。
毎日どんな気持ちだったでしょう。
便所でごはん、あとは図書館で過ごしていた高校時代。
やす子さんは、「人とうまくいかないことが多い」と話していました。
小さな社会の中で、人間関係が上手くいかないのは辛すぎる・・・
⑤衣食住を求めて自衛隊へ!
高校卒業後、仕事を探し始めるやす子さん。
生活を考えて、衣食住が安定している仕事を探し始めました。
デイリースポーツ
「そもそも自衛隊に入ったのも、18歳を過ぎたら誰も助けてくれない、家も借りれない、衣食住も揃ってる、安定を求めて入って。山口県で衣食住が揃ってるのが、パチンコ屋さんと自衛隊しかなくて。パチンコ屋さんが落ちたので自衛隊に入らざるをえなくて、入った。助けてくれ~、って思いで」と入隊理由も振り返った。
デイリースポーツ
同級生は進学する人が多かったでしょう。
その中で、生きていくすべとして自衛隊に入隊する判断をしたやす子さん。
しかし、これが人生の転機になります。
18歳からいた自衛隊時代はやす子さんにとって「家族のような小隊」「自分にとって一番濃い思い出」となったそうです。
この道のりが、後の自衛隊ネタへつながるのね。
やす子の生い立ちが衝撃!壮絶エピソード5選!まとめ
今回は、やす子の生い立ちが衝撃!養護施設や母との確執など壮絶エピソード5選!を紹介しました。
やす子さんは自衛隊を2年で退官し、芸人の道へ。
ブレイクしてからは、テレビで引っ張りだことなり、今年の24時間テレビではチャリティマラソンを走ることが決定しています。
人の何倍もの苦労をしてきたやす子さんですが、彼女の口から出るのは、いつも優しくて前向きな言葉ばかりです!
最近のやす子さんのXをみると疎遠になっていた母親との関係も良好なようですね。
父親とも再会し、「芸人になって縁が広がった」と話します。
壮絶な経験があっても感謝の気持ちを表せるのは、やす子さんの心根が綺麗だからでは無いでしょうか。
やす子さんの益々のご活躍を応援したいですね!
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